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 「ったく、一度請けた依頼を『魔法が使えません』なんて理由で断るなんざ、信用問題に関わるんだぜ…」
ただでさえ仕事が少ないのに――タキの小言を聞きながら大通りへと出る。食堂のあった裏通りから一歩踏み出せば、そこは食堂の中とは比べ物にならないほど賑々しく、人々が激しく往来していた。
 石畳の大通りの中央には大きな噴水が据えられており、見事な人魚の彫刻から、日の光を浴びて眩しく輝く水が、鮮やかな虹の弧を描きながら涼しげな音を奏でている。通りの両脇には市が並び、客寄せの声があちらこちらから聞こえてくる。二人は人ごみの中を縫うように歩いていった。
「そういえば、まだ聞いてなかったな。客ってのは一体誰だ?」
「…あぁ。いや…この先に住んでる。名前はユリス・トルキー・ハンタ。詳しい内容は、向うで本人に聞いてくれ。正直、この話請けたくないんだが…難しい内容じゃなかったし、今は客を選べないからな…」
苦虫を噛み潰したような表情で、タキは依頼人のことを話した。
 この少年は魔法具を創ることができるだけあって、天才的な頭脳の持ち主だ。たいていのことは記憶しているし、いつでも冷静さを失わない。彼なしでは恐らくこの仕事はできていなかっただろう。もちろん、実働部隊である自分がいなければ、結局同じことではあるが。
 コウは半歩ほど先を行く少年を軽く見下ろして言った。
「…ハンタ?それって確か…」
「お前の乏しい記憶力でもそれくらいのことは覚えているだろう?ハンタ家といえばここら辺を所有していた元貴族の家系だ。今歩いているこの大通りだって、もともとはハンタ家の敷地だったのを、何代か前のハンタ家当主がこの街に寄贈したんだ。石畳はハンタ家が所有していた頃からのもので――さっき見た噴水もそうな。んで、屋敷を大きく迂回する形で、この通りが造られたって訳だ。だから、そこの広場を大通りとは反対の方向へ曲がるとハンタ家邸宅が待ち構えてる」
「…なるほど。よくわからんが…」
「は?わかんねぇのかよ」
俺がこんだけ説明してやってんのに、というタキの突っ込みは無視して、コウは言葉を続ける。
「大通りが所有地だったってのはすげーな。これほど広大な土地を一人でもつなんてよほどの権力者だったんだろう?」
「…一人じゃない。元貴族・ハンタ家といっても、もともとそれ程の力を持っていたわけじゃないんだ。ただ、昔は土地のことで争いが絶えなかったから、どういう経緯でかは知らないが、ハンタ家にその土地に関する裁量権が委ねられたらしい。ハンタ家の当主も代々人々に好かれる人格の良い人だったらしいし、それでなんの問題もなくやってこられたんだ。ただ、分家のほうが強欲だったみたいでな…」
「ふ~ん。大方、財産を巡って骨肉の争いが繰り広げられたってとこだろ。今回の仕事はそれに関係してるのか?」
「まぁ、そう言ってしまえばそうだと言えるが…本人に聞いた方が早いだろう。見ろよ」
タキが顎で前方を指し示す。そこには広大な邸宅が重厚な門を二人に向けて構えていた。
 いつのまにか、大通りを逸れて歩いてきたらしい。その領地の大半を街に寄贈したからといって、まだこれほどの土地が残っているのかとコウは感心した。かつての所有地など想像もつかないほどの広さだったのだろう。
「っすっげー」
コウが感嘆の声を漏らすと、横にいたタキがこちらを見上げて冷ややかに言ってきた。
「この程度の家なら世界にはいくつかある。それより、心の準備をしといたほうがいいぞ」
「へ?」
なんのことかと聞き返す間もなく、ゆっくりと開き出した厳しい門の中から黒い影が飛び出してきた。
「っタっキく~ん!」
影は甲高い声をあげながらタキへと飛び掛った。タキはそれをあっさりとかわして、派手に転んだ影のほうを見やる。
「っ痛った~い!どうして避けるのよ?!」
タキに文句をぶつけながら額をさすり顔を上げたのは、タキと同じ年頃の少女だった。ゆるく波打つ栗色の髪は肩の下あたりでふわふわと日の光を浴びている。身長はタキより幾分低い程度で、ラフなスタイルの服を着ていた。街中で見ればただの少女だろうが、豪奢なハンタ邸を前にするとひどく浮いて見えた。
「…女の子?」
「女に見えるか?これが?」
コウが唖然として呟いた言葉に憮然としてタキが答える。少女はどう見ても少女にしか見えなかったがタキはまったくそのようには思っていないようだった。
「ひど~い。私とタキ君の仲じゃないのよ」
「どんな仲だ?どんな」
「…仲がいいのは分かったが、タキ、紹介してくれないか」
コウが腕を組み二人を交互に見ながら言った。タキは何か反論したそうだったが、少女の言葉に遮られる。
「…タキ君、誰?あの人」
「俺の仕事仲間だ。今日は仕事の話で来たんだ。…って、さりげなく腕を組むな!」
すりすりと腕を自分の腕に絡ませてくる少女を振り払ってタキはコウに向き直る。
「彼女が依頼人だ。ユリス・トルキー・ハンタ。今のハンタ家当主だ」
「そうよ。よろしくね」
ニコニコと手を振りながらユリスはコウに言った。コウは自分の相方と大差ない年頃の少女がこの広大な敷地を守るハンタ家当主と聞いて小さくはない衝撃を覚えたが、面には出さずに少女に応える。
「とにかく、中に入って。仕事の話はそれから聞くわ」
少女は今ではすでに開けられた門へと二人を招いた。門と同様重厚かつ荘厳な邸宅がその顔を覗かせていた。

 「それで?話って何?」
 屋敷の中の応接室で、カップからほのかに湯気を立てる紅茶を前に、ユリスが聞いてきた。応接室といっても、とてつもなく広い。これくらいの家になれば当然のことなのかもしれないが、大きな窓からは見事な庭が見える。さらに、壁にはどこかで見た覚えのあるような絵画がいくつも飾られており、その値打ちはいくらになるか計り知れない。床一面に敷かれた絨毯はふかふかと柔らかく、見事な模様が織り込まれてある。彼らが体を預けているソファにしても高級感が漂っていてどうにも落ち着かなかった。しかしながら、居心地の悪さを感じていたのはどうやらコウだけだったらしい。タキは軽く手を組み合わせた姿勢のまま話し出した。
「実はちょっとしたトラブルがあって、この仕事を成功できそうにないんだ。それで、この依頼断りたいんだが…」
「困るわ!そんなの!だって、引き受けてくれるって言ってたじゃない!」
立ち上がりたいのを抑えるかのように拳を握り締めながらユリスはタキの言葉を遮った。
「…すまないが、リスクが大きすぎる。万が一何かあったら失敗しただけでは済まされない。君が俺たちの依頼者だと分かれば君にだって危険が及ぶ」
「そんなの、最初から覚悟してるわ。そうじゃなきゃ、あなたたちになんか頼まないわよ」
あまりに強く握りすぎたために白くなってきた手をじっと見つめながら彼女は言った。
「…ちょっとまて。俺には話が全然見えないんだが…」
コウが手を上げて質問した。一気に場の空気がしらけるのを肌で感じながら、それでもコウはどちらかの返答を待つ。
「…あなたたちに頼みたいのは、あるものを取り戻してほしいの」
最初に口を開いたのはユリスだった。
「あるもの?」
「剣よ。銘を『イモートゥル・プロスペリティ』。この街を守護する剣よ」
「?イモツー…何?」
「『イモートゥル・プロスペリティ』。永遠の繁栄って意味だ。たいそうな名前だが、実際、この剣がこの街の危機を救ったって話がいくつも残されてる。俺も実物を見たことはないが、恐らく魔法具の一種か、剣それ自体に魔法が宿ってる魔剣といったところだろう。それを取り戻すのが今回の仕事だ」
「その剣は代々ハンタ家が街の人々から預かり守ってきたものなの。それをあいつが…っ」
「あいつ?」
「グリュニー。グリュニー・ゲーブル。いやな奴よ。お父様が生きてた時は、お父様の顔色をうかがいながら影でこそこそ汚いことをやってた奴よ。お父様はそれは優しい方だったけど、不正には厳しかったから…それでこそ、この街は今まで美しいまま残されてるって皆分かってるけど。あいつはお父様が亡くなったとたん本性を現して、剣を奪って逃げたのよ」
唇を噛みながら若きハンタ家当主は唸った。自分の不甲斐無さと、父の偉大さの狭間で苦しんでいるようにコウには見えた。
「剣が無くなったからといってすぐさまハンタ家の威厳が地に落ちる訳じゃない。街の人は皆ハンタ家には好感を抱いているし、何より、今まで力で人を抑えつけるような統治はしてこなかったんだ。権力に目が眩んで剣を盗んだ馬鹿の入る余地なんかないだろうが…」
「お願い。あの剣を取り戻して」
「ユリス、何も取り戻さないとは言ってない。ただ、こっちのトラブルが解決するまで待ってもらいたいんだ…」
今にも瞳から涙がこぼれそうな少女に向かってタキは静かに言った。
「それは…でも…」
「…なぁ、別にいいんじゃねえか?この話、請けようぜ」
重く沈んだ空気を振り払うかのように、コウが努めて明るい声をあげた。
「だが…!」
「だーいじょうぶだって。そのなんとかいう剣を取り返せばいいんだろ?簡単、簡単。俺は天才だぜ?」
「本当?」
ユリスが瞳を輝かせて聞き返す。
「ああ。確かにいつもよりはちょっと体力勝負になるが、依頼人がまともだからな。今までの仕事に比べて、格段に難しいってことはないと思うよ」
「…まとも?」
「あ、いや、こっちの話」
「そう…それじゃぁ、この仕事請けてくれるのね」
まだ釈然としない様子ではあったが、ユリスは改めて念を押した。
「こいつがそう言うんなら、俺に異存はない」
タキも軽くため息を吐きながら頷く。
「よかった~。ありがとうタキ君!」
「うわっよせ。おい、こら!」
ユリスがタキの首に抱きつくと、いつもは冷静なタキが顔をかすかに紅くして叫んだ。
「…なかなか良い光景じゃないか。良かったな~タキ」
にやりとしてコウは言った。いつもすましている相方の動揺する様というのはなんともすがすがしいものがある。
「ところで、その剣ってのはどこにあるんだ?」
「グリュニーの屋敷よ。ここからだと西へ8ルフィアてとこね」
コウの問いに答えるユリスの隙をついてタキはユリスの腕の中から抜け出した。
「それじゃぁ、決行は今夜だ」
「わかったわ」
「…わかったわって、お前ひょっとして…」
タキの顔色がさっと引くのが分かる。
「もちろん。着いていくわよ?」
依頼人なんだもの、当たり前でしょう?――先ほどまでの泣きそうな表情はどこへいったのかあっさりと言い返してくる少女に、コウはふらりと目眩を覚えた。
「何考えてんだ?危険だろうが」
タキが怒鳴るがユリスには堪えた様子がない。
「大丈夫よ。自分の身ぐらい自分で何とかするわ。それくらいの腕は私にだってあるわよ。タキ君知ってるでしょ」
ちっ、ち、と人差し指を立てて、ウインクする。タキは彼女がこういう顔をする時は、いくら言っても無駄だということを知っていた。少女の肩越しに相方を見やり肩をすくめる。それを見てコウは心の中で前言を撤回せざるを得なかった。
結局厄介な客しか来ないんじゃねーか――魔法が使えない上に、こんなお転婆娘がくっついてくるのでは、と心の奥に小さな不安が芽生えたが、コウはそれには気づかない振りをすることで心の平安を保った。
 窓の外を見るとすでに陽は傾き始めていた。

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