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「あ~、めんどくせぇな」
車は快調な・・・というよりもやや速めのスピードを上げている。
隣の運転席で苛々と煙草を消す男。車に乗ってから、何度この台詞を吐いているかわからない。
「・・・仕方ないですよ」
彼の苛立っている横顔を見ながら呟く彼女。彼女も何度こう返しただろう。
「なんで俺が行かなきゃいけねぇんだよ。他のヤツだって、手空いてただろ」
ブルーのレンズのサングラスの奥の表情はわからないが、機嫌の悪いのは間違いない、彼女は瞬間的に思った。
事の発端は数時間前・・・・


「藤田、・・・それと椎名っ。急で悪いんだが、群馬県警まで被疑者を引き取りに行ってくれないか?」
警視庁に出勤したばかりの彼女に上司である土田警部が言った。椎名と呼ばれた彼女の名は椎名めぐみ、警視庁に入ってもうじき1年になる。
「え、あっ、はい」
視界の端では藤田といわれた男は特に何か返事をするわけでもなく、スーツを肩に担ぐようにして既に入口に向かっていた。入口で彼と鉢合わせした年配の刑事が、彼に通路を譲る姿が見えた。
「まぁ、あいつと二人だが、一日で充分往復できる距離だ。頼むな」
土田が藤田の後ろ姿を見ながら困ったように頭をかく。あいつ・・・それは勿論、これからめぐみと群馬に向かう藤田のことで、彼は一応、めぐみの教育係として行動をともにすることが多い。
「あの、藤田さんって・・・」
うすうす感じてはいたが、
「・・・ああ、群れるのが・・・・団体行動がどうやら嫌いなんだ。それさえなければ申し分ないんだが」
やっぱり、そう思わざるを得ない彼の行動。

「ま、待ってくださいっ! 藤田さん」
めぐみは少しトーンの落ちた茶色い髪をなびかせるようにしながら、警官・・・というよりどちらかと言うと歌舞伎町などで夜のおシゴトが似合いそうな容貌の背の高い後ろ姿を追う。少し長い茶髪に、全体に色素の薄い容姿は日本人らしくない、と毎回思ってしまう。黙っていれば、口さえ開かなければ彼が警視庁内や他の管轄内の署でも婦警たちにモテるのがわかるのだが、
「バタバタ走るな、うるせぇ」
そう言いながらスタスタと歩いていってしまった。優しいときがないわけじゃないが、基本的に彼はこうだ。
駐車場に行くと、藤田はすでに車に乗っていた。以前に何度か乗せてもらったものと違う・・・。
「車・・・」
いつまでも藤田の領域外にいては仕事がしずらいだろう、そう思って何か話題にしようとした。そこで目についたのが彼の車で、相変わらず左ハンドルの海外製だったのだが、聞こうとした瞬間、グゥンと大きなエンジン音で、体を背もたれに預けるほか術がなかった。


「今って、どのあたりなんですか?」
めぐみは地図を見ながら尋ねてみる。
「知るか」
知らないわけはないと思うのだが、言おうした途端、クシャッと空になった煙草のケースを潰す音が聞こえる。
その音はまるで「喋るな」とでも言いたそうな音。
「あの・・・」
この人と組んでもうすぐで一年になる。周りの同期は多少の差異があるにしても彼らの教育係とうまくいっているようだが、めぐみ自身は相変わらず話し掛ける時は尻込みしてしまう。
同期で入った友人にもどうしてめぐみだけがこうもしっくり来ないのかと不思議がられる。
「・・・用件だけ手短に言え」
それも今みたいに藤田は口を開くだけでだるそうにするからだ。
人見知り・・・というわけではないと思う。現に彼が警視庁内で鑑識の人や食堂の配膳のオバちゃんと楽しげに話しているのを何度も目にしている。
「これから引き取りに行く被疑者って」
言葉を遮るようにバサバサと膝に資料が落ちてくる。
「へっ?」
「・・・田中二郎、32歳。先月27日、都内資産家宅にて強盗、150万円と預金通帳を奪ったあと人質2人を殺害。で、昨日、群馬県県道にて逃亡中を緊急逮捕。
あと詳しくは資料を見ろ」
感情の起伏の感じない事務的な言葉遣い。彼は笑うんだろうか、どうでもいいようなことが脳裏を掠めた。
「なんで護送車使わないんですかね?」
土田に引き取りに行けと言われた時から疑問だった。
「んなこと、俺が知るか」
「・・・」
そうもバッサリ言われるとこれ以上何も言えなくなる。
「しっかり、見とけよ。こっちが恥ずかしいんだから」
「・・・はい」
目を伏せてめぐみは資料に目を落とし始めた。
この人には、自分はきっと生きていく糧の中で必要のない人間と思われているんじゃないかとなんとなく思った。
「・・・あと、2時間もしたら、群馬だ」
めぐみの思っていることは、少し間違っていた。
生きていく中で必要ないと思った人間に対して、藤田がこの見るだけでもいやになるくらいの膨大な資料をわざわざ、項目ごとにリストを洗いなおしたりしておくだろうか。
それに気づくのはまだ先のことで。






快晴の空も西の方から少しずつ灰色の雲が現れ始めた。




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