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「・・・起きろ」
肩を揺すられて、目が覚めた。閉じていた重い瞼をゆっくり開ける。
「へ?」
息がかかりそうな距離に藤田の顔があり、自然と顔が紅くなる。
「着いたぞ。全く…俺が運転している横で堂々と寝やがって。・・・よだれ」
「えっ!」
慌てて手の甲で口を拭う。
「・・・ぷっ」
今まで、聞いたことがない息が漏れるような笑い声が左の方からした。めぐみが隣をみるとハンドルにもたれながら藤田が視線を逸らすように窓を見ている。今まで揺れることのなかった肩が僅かに震えていた。
-この人も笑うんだ。それもこんなことで。- 正直、安心しためぐみがそこにいた。


「警視庁から来ました藤田ですが、田谷刑事部長お願いします」
刑事部と書かれた少し煙たい薄暗い部屋で藤田が警察手帳を見せた直後、部屋の中だけはなく、廊下までがざわついた。全員が警察手帳と藤田の顔を交互に見、男性警官は羨望の目で藤田を見、婦警は頬を染めている気がする。ここまで彼の噂は広まっているんだろうか、そうとさえ感じさせるのに充分である。
そんななか、男性警官たちの目がめぐみにも(良い意味で)集中してることに本人はまるで気付いていない。

「いやぁ、藤田警部補。まさかあなたに直々にこんなところまで来て頂けるなんて」
自分や藤田の直属の上司である土田とはまるで違う腰の低い中年の男が、藤田を「どーぞ、どーぞ」と案内し始める。自分の息子くらい年の離れた藤田に媚びへつらっているのがわかる。
「資料をもらいに行くだけだ。すぐ戻るからいろ」
めぐみがついて行こうとするのを制して、藤田は田谷の後ろを歩いていった。

「大変だな、田谷部長も」
二人の姿が見えなくなった直後、どこからか哀れむような声が聞こえた。
「出世のためには息子も使えってことだろ?」
意味がわからない。
「新人さん、あんた自分の先輩のことも知らないのか?」
急に話を振られながらもめぐみは頷く。
「有名な話なんだけどな。新人さんさぁ、知らないかな? 藤田拓一朗って名前」
「えっと、確か外務省の欧州局参事官」
浮かんだのは神経質そうでいつも眉間に深い皺を寄せている気難しい顔をした初老の男性。欧州局参事官と言われながらも実際は影の外務大臣とも言われてる男である。

「・・・俺の父親に何か用か?」

田谷から資料を受け取ったらしく戻って来た藤田の顔は明らかに不機嫌だった。
頬にかかるほどの長い前髪に隠れてはいるが眉が引き攣っている。
「い、いや・・・」
驚きを隠せないと言った感じで話していた男達は罰の悪い顔を互いに見合わせていた。
「んなに昇進してぇなら、田舎を抜けてぇなら言っておこうか? 藤田拓一朗欧州局参事官に。あいつの力がありゃ、群馬から東京に出てこれるかもしれないからな」
煙草に火を付け煙を吐き出しながら言った表情にそれ以上のことを言える者はなく、藤田が田谷の後に部屋を出ていく。めぐみは一度礼をして、黙ってついてくしか他なかった。

「いいんですか? あんなこと言って・・・」
めぐみは決まりの悪そうな田谷の後ろを資料をめくりながら歩く藤田を追いかける。
「あいつらが悪い」
めぐみの方を見ずに資料の文章に目を置いたまま藤田は話す。
「なんでですか?」
毎度ながら彼の台詞にはわからないことが多い。
「俺は、・・・あいつが大嫌いだ」
バサっと資料を手の上で軽くならしたあと、藤田の歩くスピードがやや上がる。
話の流れからいって『あいつ』というのは彼の父親だろう。
「早く被疑者引き取って帰るぞ、眠くてしかたねぇや。頭痛ぇ」
彼に暗い影を落とさせるのは家庭環境なのかもしれない、ふと、めぐみは感じた。

間もなくして、腰紐に手錠をかけられた男-田中二郎-が濃紺の警察独特の制服を着た警官に引っ張られるようにめぐみたちの前に現れた。
「へへっ、ど~も」
田中二郎はめぐみと藤田の姿をみると眼は二人の姿を捕らえたまま、頭だけを下げる。
「東京の刑事さんはやっぱ違うや、ここの田舎くせぇツラと違って、美人の婦警さんと茶髪の若い刑事さんだもんな・・・へへっ」
ぼさぼさの髪と、不精ヒゲだらけの土色の顔からは充血した目だけがぎらぎらと覗き、なんとも形容できないような不気味さをめぐみは感じざるを得ない。
今まで見た被疑者とはどれとも似つかないようなそんな顔。
「うだうだ言ってねぇで早く行くぞ。話はいくらでも東京で聞いてやる」
藤田は彼の古ぼけたベルトを掴み、歩を進めるように促す。
「ボサッとしてないで行くぞ。おい」

「は、はいっ!」






群馬県警を出る頃には空は灰色の雲で覆われていた。




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