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 戦争が終わった。
 彼女はその戦いの生き残りの一人だった。
 結局は敵も味方もなく、ただ死体の山だけが残ったように思う。
 地球に再び足をつけた時、彼女には何も残ってはいなかった。

 彼女が軍に入った時、彼女には守りたいものがあった。
 それは、愛する者たちであり、愛する地球であった。
 戦いの中で、かけがえのない仲間を得、そして多くの仲間を失った。
 それでも戦い続けたのは、自分の中の信念を信じていたからだったのだろうと、
 今振り返ってそう思う。


 何故戦うのか。
 それを疑問に思ったのは、いつだったか。
 気付いたのは、自分が迷うことなく戦ってきた相手にも、
 同じ信念が貫かれていたこと。
 彼らもまた、守りたい者のため、愛すべき者のため、譲れぬもののために戦っていた。
 それでは何故、戦うのか。
 傷つけあわずに、お互いを理解することはできないのか。
 守りたいものが互いにあって、互いにそれを傷つけ合った。
 それに気が付いた時には、もう戻れないところにいた。

 宇宙には光はないのだと、そこに来て初めて知った。
 碧い宝石のように輝く故郷は、漆黒の闇に浮かぶ一つの救いのようであった。
 頑強な戦艦(ふね)に乗り、漆黒の空間を滑る時、そこに光はなかった。
 宇宙だけが、この戦争の行く末を知っているかのようだった。

 結局、そこには何もない。
 多くの血と、涙と、遠い日を懐かしむような瓦礫の山。
 それがこの戦争が残した唯一のものだった。


 彼女が再び地球に降りた時、彼女は軍を退くことを決めていた。
 もともと、この戦争に疑問を持ったときから、軍からは裏切り者扱いだった。
 だから、正確に言うなら、彼女は正規の軍人ではなかった。
 しかしながら、戦争の中で第三の勢力となりつつあった、ある集団の、
 彼女はその一員であった。
 彼女が去ることを決めたのは、その仲間たちからだった。
 仲間と共に戦った日々を悔やみはしなかったが、これ以上続けることはできなかった。
 彼女は「もう武器を取らない」と決めていた。
 「さようなら、ですね」
 共に戦ってきた仲間の一人が、彼女に言った。
 「あなたは、ここに残ることにしたのね」
 彼女は静かに応えた。
 世界から諍いの火が消えたわけではない。
 否、これからの方が、平和な世界を築くのに
 どれだけの労力を注がなければならないかわからなかった。
 先の戦争で、失ったもの、奪われたものが多すぎた。
 お互い、奪った者への憎しみは、そう簡単に消えるものではない。
 彼女もそれをよく知っていた。

 彼女よりいくらか年下の、まだ少年とも呼べる男は、
 去りゆく仲間にそれ以上のことは言わなかった。
 「それじゃあ、元気で――」
 彼女もまた、彼にはそれ以上言えなかった。
 むしろ、それを言うので精一杯だった。

 彼は、まだ戦うことを選んだ。
 それが戦わないですむ世の中をつくるためだとは、重々承知している。
 けれども、自分にはできない。それは、できない。
 あんな思いはもうできなかった。
 それを「逃げ」だと言われれば、否定する言葉を彼女は知らなかった。
 しかし、耐えられなかった。あんな思いには。
 もう、二度と。


 彼の姿を最後に見たのは、彼の声を最後に聞いたのは、彼の最期の時だった。
 戦艦に乗り、砲弾の嵐の中、戦いを止めようと必死に戦っていたあの時。
 戦いを止めるために戦う、それすらに矛盾を感じながらも、
 そのときの彼女たちには、それができうる限りの最大のことであり、
 最善のことであった。

 彼を知ったのは、その戦いの中。
 同じ戦艦の中、常に身近に「死」を感じながら、
 彼は飄々としていた。
 どんな時にも、人を和ませる一言を放つだけの余裕のようなものを
 持っていた人だったように思う。
 初めは、なんて不謹慎で、不真面目な人だろうと思った。
 自分なんかより、さらに前線に出て戦っていながら、決して余裕を失くさない人だった。
 冷静な人だった。
 周りを見る目を持っていた。
 緩やかに波打つ金の髪も、澄んだ青い瞳も、それなりに整った顔立ちにも、
 焦りや、不安を浮かべない人だった。
 それでも、願う想いは一つだった。
 あの戦争の中で、それだけは確かなものだった。


 彼は決して無口な人ではなかったけれど、
 自分のことについて多くを語る人ではなかった。
 そんな彼が、幼い時の記憶を語ってくれた時のことを、彼女は思い出していた。

 「何にもないところだったんだが――」
 彼はどことなく懐かしそうに目を細めた。
 「穏やかなところだったよ――」
 彼はまだ微かに残る涙の跡を、軽くぬぐいながら言った。
 彼が流した涙の意味を、彼女は深く知らない。
 彼が何に出逢ったのか、彼自身から聞けたことだけが、
 彼女がここで、彼の話を聞いていてもいいという証のような気がした。


 もう幾度目かの戦闘の後、彼はかなりの重傷を負って帰ってきた。
 その傷を医療班に任せて、彼女は自分のやるべきことをこなしていた。
 どれほど傍へ駆け寄りたくても、彼女はその衝動を抑えた。
 何とか窮地を切り抜け、彼の部屋へ見舞いに行った時には、
 彼は静かな寝息を立てていた。
 そっと部屋に入り、様子を見ようと彼に近づくと、
 彼はゆっくりと目を開け、彼女のほうへと視線を向けた。
 心なしか、彼の青い目が傷ついたような光を湛えていたのを彼女は見た。
 「起こしてしまったかしら」
 静かにそう聞くと、彼はいや、とだけ応える。
 「これくらい痛みがあると、そう簡単には眠れないさ」
 茶化すように言って、微笑む彼は、いつもの彼と同じで。
 彼が戦っていた者が何だったのか、聞かされたときの衝撃は
 今でも心を抉るように残っている。
 「――あなたが悪いんじゃないわ…」
 彼女がそう言って彼の肩にそっと触れたときの、彼の顔を、
 彼女は決して忘れないと思う。
 そして、しばらくしてから彼は、ゆっくりと語り始めた。

 「何にもないところだったんだが、穏やかなところだったよ――」
 彼女は彼の手に軽く自分の手を重ねながら、続きを促すように軽く首をかしげた。
 終わらない戦火の中、瓦礫が漂う宇宙の中で。
 戦艦という巨大な兵器の、無機質な一室で。
 彼女たちの時間は、驚くほどに穏やかだった。
 それは、最初で最後の時間だったかもしれない。
 とにかく、彼は彼女が自分の話を聞いてくれていることを、確かに感じながら、
 またゆっくりと目を閉じた。
 「親父か誰かの実家だったんだろう――大きな家があって、いや、
 その中に入っていたわけじゃなくて、
 それをただただ見上げていたんだよな。うん…
 別にその家が記憶に残ってるわけじゃないんだ、
 ただ大きな家だったな、というだけで。
 たぶんそんなにいい思い出もそこにはないな。
 ただ、すぐ近くにとても広い花畑があったんだ」
 「花畑?」
 彼女は微笑んだ。
 彼にはなんとなく、花畑とか、そういうのは似合わないように思えた。
 もちろん、平和な時代であったなら、彼は花束の一つや二つ、
 美しい女性に甘い言葉を添えて贈っていたりはしていただろうけれど。
 「――花畑、というんだろうな、やっぱり。とても大きな花だった。
 俺の背丈よりもずっとでかくて、太陽の様な花を咲かせるんだ。
 それがどこまでもどこまでも続いていて、まぁ、迷子、になったんだ…」


 仲間のもとを去ったところで、彼女に行く当てがあるわけではなかった。
 彼女の栗色の髪を、風が揺らす度、ここが地球で、
 彼がここにはもういないことを思わないわけにはいかなかった。
 置いてきてしまった――。
 それが、戦いの中、仕方のなかったことだとしても、悔やまれてならなかった。
 なぜなら彼は、彼女たちを守るために逝ったのだから。

 戦いの終盤は、お互いに総力戦だった。
 既に本来の目的とはかけ離れたところで、戦闘が繰り返された。
 相手を滅ぼすことだけに、互いが力を注いでいた。
 彼女たちはこれ以上凄惨な歴史が積み重ならないよう、
 二者の間にたって戦い続けた。
 何より、互いが互いを滅ぼしあうようなことだけは避けたかった。
 彼女たちの乗る戦艦には、目の前で戦闘を繰り広げる両者を
 故郷に持つ者たちが乗り合わせていたのだから。

 そんな中、彼もまた前線へと発った。
 まだ完全に体力が回復していないことを、仲間の誰もが知っていながら、
 誰も彼の出撃を止められなかった。
 彼が、自分たちの数少ない戦力であることを認めないわけにはいかなかったからだ。
 そして、彼は死んだ。
 敵艦から放たれた砲撃を避けることが出来ずに、彼女が死の覚悟を決めた時だった。

 彼女は戦艦の指揮官だった。
 彼女もまた、戦う者の一人だった。
 敵艦の攻撃を避けることができなかったのは、
 自分の判断の甘さであると、彼女は思った。
 敵艦の指揮官がかつての戦友だったことが、判断を鈍らせたのかもしれなかった。

 彼は飛び交う砲弾の中を戦っていたはずだった。
 自分の宿命とも呼べる敵と対峙していたはずだった。
 それにもかかわらず、彼女が死を覚悟したとき、彼はぼろぼろの機体のまま、
 彼女が乗る戦艦の前――敵艦の砲撃の前に現れたのだった。
 あの瞬間、景色が真っ白になったことを覚えている。
 視覚の全てが奪われたような、事態を把握しきれないような、奇妙な感覚だった。
 彼の最期の言葉がいつまでも耳の奥で聞こえていた。
 最期まで飄々として、余裕のある声だった。
 モニター越し、機械越しの別れだった。

 結局、彼女は生きていて、戦艦の画面に映し出されたのは、
 彼が乗っていた機体の残骸だけだった。
 彼女は慟哭し、それでも戦い続けていた。
 かつての戦友でさえも――。

 そして、まもなく戦争は終わった。


 「――に行ってみようかしら」
 彼女は独りごちた。
 彼が語ってくれた場所。
 彼の幼い記憶が残る場所。
 彼女にはもう何も残っていなかったし、
 何か成し遂げなければならないと思うようなこともなかった。
 ここからすぐ近くというわけではなかったけれど、
 何日もかかるような場所でもなかった。
 彼が話してくれた記憶。
 彼女にはそれだけで十分だった。
 彼女は歩き出した。


 

 彼女たちが宇宙で戦闘を繰り返している時でも、
 地球では人々が生活を営んでいたのだと改めて気付いた。
 もちろん、街は荒れてすさんでいたが、
 それでも戦争が終わって活気が戻りつつあった。
 しかしながら、崩れかけた建物の影にうつろに佇んでいる人々や、
 戦いの中で失ったのか、慣れない義足に苦心している人を見る度、
 彼女は申し訳ない気持ちと、自分もあんな暗い目をしているのだろうか、と思った。
 彼を失って、彼女の心には穴が開いたようだった。
 彼女には、彼女の心を風が通り抜ける音が聞こえるような気がした。
 金の髪を見かける度、彼女の心は締め付けられるような痛みを味わったが、
 不思議と涙は流れなかった。
 宇宙で慟哭して以来、彼女は泣いたことはなかった。

 目的の地へ近くなるほど、景色はのどかになっていった。
 都会からかなり離れたこの地方は、おそらく戦前とあまり変わっていないのだろう。
 まだ青々としている麦や、畑の緑が目に痛い。
 日差しだけが初夏の終わりを告げていた。

 彼女は通りがかりの馬車に乗せてもらいながら、ぼんやりと景色を眺めていた。
 「ここは静かで、とても穏やかなところね・・・」
 彼女が独り言のように呟くと、快活そうな若者の声がそれに相槌を打った。
 「ええ、なーんもないところですけどね。幸い、ほとんどの戦火からも逃れられました。
 都会の人たちや、軍の人たちを思うとあまり大きな声じゃ言えませんけど、
 ここは昔とほとんど変わらないですよ…ってコレ、うちのじいちゃんの口癖ですけど」
 明るい返事に、思わず微笑がもれた。
 ガタゴトと揺れる馬車の上で、
 彼女はずっと繰り返されてきたであろうこの地方の営みに思いを馳せた。

 「大きな花畑があると聞いたのだけれど」
 しばらく揺られて後、彼女は若者に問いかけた。
 昔の話のようだから、今は無いのかもしれないけれど、とは思ったが、
 この穏やかな風景がそれほど急激に変わるとも思えなかったので、
 それだけを口にした。
 「あー、たぶんあれのことかな…もう、花畑って感じじゃなくなってますけど」
 苦笑気味に笑う若者を見て、彼女は少しばかり残念に思った。
 やはり、いつまでも同じ景色が残っているわけがない。
 「もう少ししたら見えてくると思いますけど?」
 若者は軽く振り返って付け加えた。
 「あ、ほら。あれですよ」
 若者が指差す先を見て、彼女は目を見張った。

 そこに広がるのは一面の黄金の絨毯だった。
 太陽に向かって一斉に大輪の花を咲かせていた。
 確かに、彼の話した通り、背の高い、大きな花が咲く『花畑』だった。
 「どこかのお屋敷の土地だったそうですよ。もう誰も住んでいませんけど。
 誰からも手入れされなくなっても、
 自分たちで殖えていったんでしょうね。もう、お屋敷を飲み込むほどですよ。
 これほどになると、見事としか言いようがありませんね」
 若者が馬車を止めてくれた。
 二人で馬車から降りて、黄金色の花を見上げる。
 彼女の背丈よりわずかに高いところで、
 黄金の花が太陽のように輝きながら風に揺れていた。
 彼女は、彼の話を思い出していた。


 ――太陽の様な花を咲かせるんだ。
 それがどこまでもどこまでも続いていて、まぁ、迷子、になったんだ…。
 辺り一面、背の高い花に囲まれて、
 だんだん日は暮れてくるしで、結構困ってたんだが、
 ふと上を見上げると、金色の花が風に揺れてた。
 なんかそれ見てると、不思議と怖くなくなって、何とかなるような気がしたんだ。
 …なんていう名前だったかな。
 ホントに綺麗で、太陽みたいだと思ったんだ。
 その花はずっと空を見上げてた。
 なんか、伝説があって…もう忘れたけど。
 その花の金色が強く印象に残ってるんだよな――

 彼が何故そんな話をしたのか、今となってはもう確かなことはわからない。
 けれども、彼がこの花の輝きを、
 ずっと心の中で見続けてきたことだけはわかったような気がした。

 「――この花にまつわる伝説を知っていますか?」
 若者が不意に聞いてきた。
 「いえ…ええ、何か伝説があるというのは、聞いているけれど…」
 彼女があいまいな返事を返すと、若者は視線をその花に戻して静かに語り始めた。
 「太陽の神に恋をした水の精が、叶わぬ想いと知っていて、それでも彼を見続けようと
 長い間ずっと立ち尽くしたままでいるうちに、
 いつしか花に変わってしまったっていう…」
 若者は花を見つめながら目を細めた。
 まるで、輝く花がまぶしいとでもいうように。
 「だから、この花はいつも必ず太陽の方を向いているんです」
 「そうなの…」
 叶わぬ恋と知っていて、愛しい人を見つめ続けた水の精――彼女は
 何を想ったのだろうか。

 ふと横を向くと、若者もまた何か物思いに耽っている様子だった。
 彼女はまた視線を大輪の花のほうに移し、花が風に微かに揺れるさまを見ていた。

 二人は日が傾くまでそこにいた。
 西の空がオレンジに染まり始める頃、若者は彼女に向かって言った。
 「そろそろ日が暮れます。これからどうされますか」
 彼女は黙って若者のほうを向いた。
 「もう少しだけ、ここにいたいのだけれど…」
 彼女は躊躇いがちに聞いた。
 若者とて、都合があるだろうし、さすがにここには宿のようなものもない。
 しかし、彼女はもう少しだけ、この太陽の花を見ていたかった。

 「――いいですよ、好きなだけ」
 若者は微笑んで言った。
 そのときの表情が、どことなく彼が笑ったときに似ていたので、
 彼女は驚きとともに、泣きたいような、笑いたいような変な表情になった。

 ここに彼はいた。
 間違いなく。
 そして、彼が見た花は、彼が幼い頃と変わることなく生命を紡ぎ続けていた。
 広大な花畑を今はただ、残照だけが照らしている。
 金の花弁はさらに色を深くしていた。
 金は彼の色だ。
 さっきまで青かった空は彼の瞳の色だ。
 そして、今濃紺に染め上げられた空は、彼と過ごした宇宙(そら)の色だ。

 「そうそう、さっきの話の続きですけど…」
 若者が思い出したように彼女に話しかけた。
 「だからこの花、太陽だけを一途に見つめ続けて咲く花だって言われてるんです。
 ――あとは、恋し続ける女性の化身とも…」
 若者が微笑んだ。
 そらはもうすっかり夜空だった。
 地球から見上げた宇宙(そら)は輝く星たちで飾られていた。


  ――太陽だけを一途に見つめ続けて咲く花――
 ――恋し続ける女性の化身――
 叶わぬ恋と知っていて――宇宙(そら)を見つめ続ける花

  彼女は微笑んだ。
 微笑んだつもりだった。

 何故だか、涙が止まらなかった。



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