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 「高杉、なあにトロトロしてるのー!」
彼女は振り向いて、後ろを歩いていた青年に声をかけた。
「そ…そんなことを言われても、こんなに資料やらダンボール箱やらで、目の前ふさがってるんですよーっ」
高杉と呼ばれた青年は、悲鳴に近い声をあげている。大きなダンボール箱から溢れそうな書類が彼の腕の中に積み上げられ、彼女の場所からでも彼の顔が見えない。すれ違う同僚たちの視線も、ありえないほどの量の資料を持たされた青年に哀れみさえ浮かべている。
「しょうがないなあ、どれ、少し持ってやるよ」
彼女は高杉の持っていた荷物を半分持って、歩き出した。今まで手ぶらだったのだから、
さすがに周囲の視線が痛くなったのかもしれなかった。


 彼女の名前は椎名めぐみ。警視庁の中では最年少の警部だ。同僚からの信頼も厚く、今まで、いくつもの事件を解決している。長い髪をきちっとまとめ、ハイヒール姿で颯爽と歩いていく姿は、そんな彼女を象徴するようだった。しかし、彼女にも、未解決のまま時効を迎えようとしている事件が一つだけある。十五年前に起きた“会社員惨殺事件”…。


 「ほらあ、高杉、早くしないとおいてくよー」
高杉はめぐみに言われて慌ててその後をついて歩き出した。
「すいません」
ようやくめぐみに追いついた高杉は、小声で礼を言う。やっと前が見えるようになりはしたが、崩れ落ちそうな資料を顎で押さえながら歩いている高杉は、奇妙な猫背で、それがしょぼくれているようにも見えた。
「も少し強気になりなさいよ。あと、体力も…!」
めぐみは子どもを諭すように言った。


 めぐみの言うとおり、高杉は、小さい頃から気も弱く、体力も全くと言っていいほど無い。そしてさらに、大きな瞳に長いまつげ、白い肌に華奢な体といった、美青年というより、美少女という言葉が似合う青年である。
 「時効の成立まであと一ヶ月かあー」
めぐみはため息まじりに言った。今回、めぐみと高杉は、時効寸前になった“会社員惨殺事件”の捜査本部に配属されることになった。いま運んでいる荷物も、十五年前から溜まっている、事件の膨大な資料だ。
――でもどうしてだろう?椎名さんはともかく、なんで僕が…人数合わせのためなのかなあ…?
高杉は歩きながらその訳を考えていた。高杉はまだ新人の警官でめぐみはその教育係をかねていつも二人で組んで仕事をしていた。とはいえ、時効ぎりぎりの難事件に新米が召集されるとも思えない。
 「高杉、前っ!」
ぼーっとしながら歩いていた高杉の耳に、めぐみの声が聞こえた時にはすでに遅し、高杉は勢いよく前を歩いていた人物にぶつかり、持っていた資料は、ばらばらと床に落ちた。めぐみはあきれて怒る気もしない。相手の人物は、謝ろうともせず、皮肉たっぷりに言ってきた。
「アンタもこんな厄介な部下をもって大変だな、警部さん」
「それ、どういう意味ですか?藤田警部補」
めぐみは内心最悪だと思いながら、その感情を顔には出さずに聞いた。
 高杉がぶつかってしまった相手は、二人の一番苦手とする、同じ捜査一課の藤田警部補だった。藤田は、めぐみよりは年上であるが、組織の中では“警部補”なので、警部であるめぐみの部下にあたる。30歳を迎えずして警部補の地位にいるのだから、それほど悪いとも言えないだろうが、本人はそのことが気に入らないらしい。顔を合わせるたびに、なにかと突っ掛かってくる。
 煙草の煙をくゆらせながら、皮肉かつ、冷酷な表情で一瞬、高杉を見ると、落ちたままの資料を拾い高杉に渡して言った。
「つまりこういう意味だよ。警部さん」
“警部”と言う言葉をやけに強調してそう言うと、藤田は煙草の煙をすうーっとはいて行ってしまった。
「な…何のなのよーっ!あのにくったらしい男はーっっ!」
警視庁の廊下にめぐみの声が響き渡る。周りにいた人間が一斉にめぐみのほうへ注意を向ける。その声が聞こえないわけではないだろうが、藤田は何事もなかったように振り返らずに歩いていた。
めぐみは正直むかついた。今日は朝からついてない。あんな奴に会うなんて…。しゅんとしょげたまま資料を拾い集めている高杉を手伝いながらめぐみは言った。
「高杉もあんな奴のいうこと、いちいち真に受けてちゃだめだよー」
「でも、藤田さんの言ってることは本当ですよ…」
うつむいたまま資料をかき集めながら高杉は言う。
「そんなことないって。高杉にだっていいとこあるし、全然厄介なんかじゃないよ。やっぱ、あいつのとこ行って、文句いってくるよ。『高杉に謝れっ』て」
めぐみは、高杉に言った。
「いえ、いいんです。これ以上、椎名さんが藤田さんにバカにされるのは僕にとっても悔しいことですから…」
そう言って、集めた資料を抱えて、高杉は再び歩き出した。めぐみは、それ以上高杉に何も言えなくなってしまった。

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