RED×BLUE ５

視覚で像を結ぶのは、真っ黒で鈍い緑にも見える森林。
雨音と雷が落ちるたびに飛び立つ鳥の羽音。
人差し指と親指で持つ煙草の僅かな熱と、皮膚の上を滑る雨雫。
煙草のフィルターが焼ける独特の匂いは嗅覚を刺激する。


「……………」
めぐみが、その鬱蒼とした森の中に逃走した被疑者である田中二郎を追いに行き、時計の長針は半周しかけている。
雨はまだ一向に止む気配を見せていない。むしろ雨足は強くなる一方で、身体から放散される熱をどんどん奪っていく。
藤田は車体に半身を預けるように凭れながら、時折、時計を眺め、紫煙を吐き出していた。
田中二郎がこの場に戻ってくるかもしれない、そういうある程度の予測のもとの待機。
――何がしたいんだ、俺は。
苛々としていた。
足元には吸い終えた煙草が、無造作に散っている。
被疑者を逃がしてしまったのは、確かにめぐみの過失であるが、そのめぐみの上司であるのは自分。
――コトあるごとに世話を焼かせるな、あいつは……
そう感じながらも実際は、別に責任云々はどうでもいい。
そんなモノは実際、思ったほどたいしたコトではない。

何の連絡も来ない。
何かしらの連絡があっても可笑しくはないのに。
県境、しかも山道という悪条件のためか、ウィンドウを開いた携帯電話も圏外。
「使えねぇ……」
連絡を取る手段の機械の筈なのに、此処では用もなさない、掌に載るだけの黒い機械。
「まだ見つからねぇのか…」
ふと距離もわからない空を見上げる。
逃走した被疑者の行方を気にするよりも、ただ、心配なのはめぐみのこと。
あぁ無鉄砲な性格で、いい意味で無邪気な性格で、どこか放って置くわけにはいかない。

「俺はあいつの…父親なんかじゃねぇ」
そう言い聞かせなくても、わかっている筈なのにわざわざ強める。
自分の責任と言わんばかりに、会話を折り走っていった。人の気も知らずに。
――だからなんだと言うんだ。あんなヤツ…
自問自答を繰り返し、また吸い終えた煙草を指で弾く。

それから更に30分が過ぎようとした時、ザッという草を掻き分けるような物音が聞こえ、めぐみが暗闇の中から姿を現した。勿論、少しは勘忍したように田中二郎の姿もそこにはあった。
二人ともぼろぼろで、息を切らしながら藤田の顔を見ている。

「……」
「あ、藤田さん。お待たせしました」
顔やら服に泥が付いているコトも気にしないような面持ちで、めぐみが僅かに笑みを作り上げた。
その様子を見、藤田がとうに空になった煙草のケースを握り潰す。
そして、聞こえないくらい小さな舌打ちをひとつ。
「…ったく、どれだけ待たされたと思ってるんだ」
土埃を払うようにめぐみの頬を軽く叩くと、一瞥したように田中二郎の姿を見た。
「世話をかけんな。こっちは唯でさえ、遠出で調子を狂わされて苛々してんだ」
群馬県警から彼を連れた時と同じようにベルトを掴みながら田中二郎を見る目は、酷く褪めていて、そのままずかずかと歩を進めていく。

「え、ちょっと待ってくだ…」
足元で木の枝をパキパキと踏みながら、自分の前を駆ける背を追う。
地面が泥濘み、思うように歩が進まない。
そうしたくなったわけではないが、めぐみはふと歩を止めた。
「……」
数歩手前で、藤田がめぐみに視線を向ける。
相も変わらず、へらっとめぐみは笑みを浮かべる。
――放って置けばいいのに。
その表情に軽く舌打ちをしたのは他でもない藤田。
――ったく、どこまで世話を焼かせたら気が済むんだ。
「いい加減にしろ、ここで野垂れ死にたいのか」
「ぇ」
まさか本気で野垂れ死ぬとは二人とも思ってはいないだろうけど。
先程よりもやや大袈裟に、藤田の舌打ちが聞こえる。その世間一般で存分に謳われるような端正な作りの顔に思いきり嫌悪感を隠そうともせず。

「行くぞ」
強引にめぐみの手首を引く。同時に田中二郎のベルトを握る左手も力が篭る。
掴む加減を知らないのか、相当の力。
「あっ、あの…」
「がたがた喋る暇があるならあとから言え」
――風邪でも引いたら困るだろ。
無意識に発しそうになった言葉を飲み込んだ。
それにも意識せず。意識していたとしてもその感情の云々は必要ないから。

近くで落雷の閃光が鈍く光る。