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「え・・・・え~っと」
あまりにも凄みを帯びている容疑者に対して、めぐみの目線は返す言葉も見当たらず、何度も外でまだ話のついていない藤田と田中二郎の間を往復する。
こういう場合はどうしたらいいんだろうか。
頭の中で似通った案が浮かんでは消える。

・・・多分、ココで油断して縄なんか緩めたらきっと逃げられちゃうんだと思う。もし、逃がしたりなんかしたら、みんなに迷惑かけてしまうんだろうし、藤田さんになんて皮肉られるかわかんない・・・
混乱している思考回路の中でめぐみは懸命に考える。
「ご、ごめんなさい。痛いかもしれないですけど、あたしには、やっぱり無理・・・です」
めぐみの小さな声での本音。
こんな弱い立場の刑事に対して、被疑者はどうでてくるのだろうか、ハラハラしながら、閉じていた片目を開く。
「まあ、ハナッから期待なんかしてねぇさ」
鼻で軽く笑い、田中二郎の唇が不気味に歪む。
その表情は刑事という立場で己の前に立つめぐみを見下すようなモノ。
脊椎をざわざわとした嫌悪が走る。


「・・おい、今日は帰るの諦めるぞ」
まもなくして、藤田が車に戻ってくる。
おい、と別に名前を呼ばれているわけでもない何の意味も持たない呼びかけには随分と慣れた。
藤田が自分の名前を発しないことなど知ってる。
彼が特別好意を持つ人間・尊敬する人間以外には社交辞令でしかその名を発しないのも知ってる。
つまりは彼にとって、自分というのは特別好意を持たないけど、ただの仕事上でしか付き合わない上辺だけの存在じゃないことはなんとなくわかる。
本人に確かめたわけではないから憶測で物事を判断してはいるが間違いないだろう、そうめぐみ自身も確信してる。
けど藤田の感情が意図するものはわからない。

「・・・・・・え、何でですか??」
めぐみは藤田が口元に咥えた煙草に火をつけるのを待って、言葉を発する。
言葉を発するのが遅れたのはそれだけが理由じゃない。
先ほど田中二郎との2人きりの車中で交わされた
―車に乗ってから何度も俺のことを睨んできやがる。犯罪者をみる目なんかじゃねぇ・・・ありゃ、あんたに惚れてる目だ。
オレが下手なことをあんたにしないように釘を刺すような、な―
その言葉を必死に受け入れないでおこうとした自分が無意識のうちに其処にいたから。
「この雨のおかげで、ここから東京に帰る道すべてが土砂崩れ、もしくはその恐れで、この雨が降ってるうちは通行止め、だそうだ」
そんなやり取りを知るわけもない藤田は、雨で濡れて艶を帯びた髪を鬱陶しそうに掻き揚げながら、先ほど交通整理の男に言われたであろう言葉をそのまま口にする。
ただ、少し機嫌悪そうな様子。
「そうなんですかぁ」
へらっと少し笑って見せても、彼の表情を固まったまま、崩されることはない。

吐き出される煙が、狭い車内に充満する。
何かを考えているんだろう。
煙草のフィルターを噛んで物思いに更けている。
「で・・・どうするんですか??」
言葉を選ぶようにめぐみは藤田に言葉をかける。
「近くのどっか、旅館でもホテルでも泊まるしかないだろう」
そう言い、めぐみの反応を待つこともなく(彼にとってはめぐみの答えなぞ待つ必要もなく)、車を走らせる。


雨が、まさに「槍」と形容するのが適当なくらい、鋭く、ざぁざぁと降る。
空は、黒い雲に覆われ、時折、向こうのほうで雷光が射す。
薄気味悪い空間が偶発的に揃ってしまった。
だから、このような結果になったのかもしれない。
が、このときのこの2人にはまだそれがわからないでいる。
偶然が全てを引き起こし、物事を左右する、そんなことも時としてある。

本当に一瞬だった。
一瞬の出来事で何がどうなったのか、わからなくなった。
通行止めの道路から引き返し、たまたま見つけたペンションのような建物。
―部屋の空きを確かめてくる―
そう言って、藤田が足もとで水飛沫を上げながら走っていく姿を目で追いかける。
その時にスキが生まれたのかもしれない。
いや、自分はまだまだスキだらけだ。
腰紐をつかんでいた手が若干緩み、その瞬間を、田中二郎が見逃すわけもなかった。
その骨と皮しかないような朽ちた細い身体で、めぐみに体当たりをし、たじろいでいる彼女を尻目に、外へと走っていった。
「ちょ、待て・・・・ッ!」
めぐみがその車内で身体を起こしたときには、その姿はこの闇深い森の中へと眩ました。

ヤバイ。
頭の中には必然的にそういう思考回路が張り巡らされた。
さまざまな憶測、これから予測されうる事態が頭の中で浮かんでは消えを繰り返す。
藤田に何を言われるか、
自分を信用して、この仕事を与えてくれた土田警部の落胆する顔が浮かんだ。 
口渇を感じる。
思っているのなら、考えている暇なぞない。
車から降り、田中二郎が走り去ったであろう方角を見据える。
暗闇に広がる森林。
けたたましいくらいの雨音がすべての音と、気配を隠す。
身体中の体温を奪うような冷気が漂う。

「おい、何をしてる」
そんなこともあって、いつの間にか藤田が自分の半歩後ろに立っていることにも気づかなかった。
「え・・・・えと」
言いよどんだめぐみの表情を見て、彼は車中を軽く見、状況を察知した。
「・・ぼやぼやしている暇はないだろ」
その冷静そうな科白からは若干の動揺が伺えることに、めぐみは気づいていない。
いや、そのことに気づくほど、めぐみの心に余裕がなかった。
その言葉に促されるようにめぐみは、かけて行く。




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