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日々施される処置。

抗生剤の投与、術前検査。

手術前のオリエンテーション。

消毒綿の匂い。

慌ただしく動く医療者。

物々しいいでたちで現れる医者はまるで“白い巨塔”さながら。

廊下から時折聞こえる隣室の面会者の声。


時折、ひらひらなびくクリーム色の遮光カーテン。

折り目正しく畳まれたあとがある、これまた折り目正しく敷かれたベッドシーツ。




そして、此処にいるあたし――――遠藤 千恵、21歳。

看護師を目指し大学に入った3年目の秋。


化粧をしていない顔。

右腕の、細く浮き出た血管に刺された留置針。

明日の手術に向けて渡された“手術前を受ける患者様へ”とかいう準備に関する心得とやらは、一般的で。



あたしは、こんなのが欲しくて此処にいるんじゃない。





病名は、左乳癌。

…予定手術は、左乳房切除術。




看護学生のあたしには此れが何を意味しているのかわかるのが無性に悔しい。












   01













コトの始めは、遡る事、10月中旬。

病院での実習も一区切りがついた久々の休み。


映画を見た帰り。

その映画はちょうどあたしと同じ世代の女の子が乳がんになるという、

話・キャスティングともに話題をさらった、実体験を基にされたノンフィクションの映画。

街頭でもピンクリボン運動のチラシを配る、

襟元にピンクリボンをあしらったブローチをつけた女のヒト。

年はそう、あたしの母親よりも少し年上くらいのヒト…かな。



そういえば、この前の大学の講義でも母性看護学のお偉い先生がアピっていたっけ。

あなたたちも年に1度は乳がん検診を受けなさい、とか何とか…

その前にも外科の講義をしにきた病院のお偉い先生も女性の罹る病気は乳癌が多いとか何とか…


いかに大学の講義を聞いていないか、それを表すようにあたしの講義中の記憶力は随分と曖昧だ。

教科書も付箋はおろか、折り目さえついてないまるで新品同様。



…そんなことは、将来、人の命に関わる身としては自慢できることじゃない。




「ねぇ、あたしも乳がん検診、受けてみようかな」


週末のスクランブル交差点、様々な人が行き交う。

あたしもその中の一人。

さっきもらったチラシをぴらぴらと扇ぎながら、

当事者の方には悪いけれども、そのときはそう思いつきで口にした。



いや、脳裏を何かが掠めたのかもしれない―――



「実際、ドラマや映画の中の話だろ? お前は大丈夫だって」

更にそう付け加えたのは総一郎、付き合って2年になる同じ大学の理学部に通う3年生。

ノンフィクションのドラマやドキュメンタリーを見ても、どこか自分に投影できないのは、

至極、致し方ないのかもしれない。



あたしだって、そうだった―――




「ほら、この映画のPRでも言っていたでしょ? 年に1回の乳がん検診してくださいって」

急に吹いた北風に、コートの襟を立てる。

10月の少し乾燥した風。


「ま、その胸のどこかに異常があるとしたら俺が一番に気づくけどね」

総一郎はダウンジャケットのポケットから煙草を取り出して咥えながら、そうかました。

…このエロ大魔王。



「うゎ、言ってくれるね。エロ大魔王」

ふざける様に、その無精ひげの生えた頬をつねる。

「まぁまぁ。さ、早くメシ食いに行こうぜ。俺、腹減って死にそう」

あたしがつねった頬をわざとらしく押さえる。


「まだ、死ぬのは早いんじゃない?」

あたしは、総一郎の腕に自分の腕を絡ませた。


爪に施された、ピンクのマニキュア、ラインストーン。

去年のクリスマス、二人で買った左手薬指のラブリング。

身体のラインを撫でるような黒いニットワンピース。

先週、綺麗に染めたばかりのピンクブラウンの髪が、

首元に巻いた白いマフラーと一緒になって、ふんわりと舞う。





いつもと変わらない日常。

いつもと変わらない会話。



いつもと変わらないあたしと総一郎の関係。



此れがいっぺんに壊されていくなんて、

此れがいっぺんに消えてなくなってしまうなんて、



……あたしがその当事者になるなんて誰が想像できたコトか。










「…検査の結果、左乳房に腫瘍が診られました。ほぼ間違いなく、悪性です」

総一郎と話した2週間後。

大学の付属病院で、あたしは両親とともに乳癌を宣告された。

それと同時に手術によって左の乳房を失うことも。




それは、あたしのこれからの人生の序章に過ぎなかった。









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