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意外と綺麗に整頓されている医師の机。
消毒アルコールの匂い。
用意された丸椅子は、あたしと両親の3脚分。
ドラマでは、俗に言う“告知する場所”とやらは、
薄暗いガランとした寂しい場所で、レントゲンを照らすライトだけが妙に青白く照らされているけれども、
現実は暖色の照明に照らされたごく一般的な診察室といったところだった。
そして、そこにいるのは一流の女優や俳優でもなく、あたし達家族だ。
どこにでもいそうな平凡な家族。
それが、乳がん検診を受けようかと総一郎と話した2週間後の出来事―
02
「ごめんなさいね、手術が少し長引いてしまって・・・」
手術時にガウンの中に着ている手術着のまま医師が現れたのは、約束の時間よりも遅れること、15分。
医師は、そのあたし達親子全員の顔が見えるように腰を下ろした。
縁のない眼鏡をかけ、立派な口髭を蓄えた40代後半の医師は、
その浅黒い顔を苦渋の表情に歪ませて、
MRIや、超音波検査、病理細胞診、マンモグラフィーなど、
講義で一度は聞いたことのある検査内容についてわかりやすく結果を教えてくれた。
決定打とも言える科白。
「・・・検査の結果、左乳房に腫瘍が診られました。ほぼ間違いなく、悪性です」
年齢的なコトやボディーイメージの観点から、
可能な限り、乳房を温存した形での手術が望ましいのだが、
リンパ節への転移も考えられ、
あたしの場合、それが難しいというコトまですべてを話してくれた。
インフォームド・コンセント。
「分かりました・・・」
一通りの話を聞いた後、驚いたコトに、そのときのあたしは妙に冷静だった。
・・・冷静だったんじゃない。
・・・冷静そうに“装った”だけ。
本当は、その現実に向かい合う準備が出来ていなかったんだ。
一緒に話を聞いたママの顔が見る見るうちに真っ青になって、
「この子は若いんです。子供を産むコトはおろか、結婚だって就職だってまだなのに・・・」
呟いたあと、声を上げて泣き始めた。
正直、さっきまでテレビ越しの出来事じゃないかって思った。
けれども、違うんだ。
あたしがこの当事者で、
今、告知を受けているのはあたしとパパとママ。
そう考えると、足元がすうっと暗くなって、底なしの暗闇に思えた。
あたしとママのちょうど間にいるパパは、
項垂れているママの肩を優しく抱くと、
もう一方の逞しい腕で、あたしの肩を引き寄せるように抱いた。
パパの手が震えている。
そう思ったけども、本当はあたし自身の肩がカタカタと震えていた。
この問題はあたし一人で片付けることが出来ないくらいに膨れ上がっている。
そして、ガン細胞は若ければ若いほど全身を蝕む速さが速いため、
手術を受けるとか受けないとか揉める時間はないように、思った。
「あの・・・」
視界はぼやけていた。
頬を冷たい感触が滑り落ちた。
ようやく、気づいた。
あたしは泣いていた。
家族や恋人、大切な友達―それ以外のまったくの第3者の前で、涙を見せたのは小学生以来だった。
「手術をしたら、おっぱいさえ取ってしまえば、あたしは助かるんですよね?」
呆気なく死んでしまう、そんなことありませんよね?
唇がカタカタと震えた。
――“死”が、怖い。――
高校生の時、
前日まで元気だった曾祖母が朝方に脳梗塞を起こし、その日のうちに呆気なく死んでしまった。
90歳を越えて足元もおぼつかなくなり始めていたのに、
お正月やお盆に会いに行くと手作りのお菓子を振舞ってくれていた、ひいおばあちゃん。
そのひいおばあちゃんの葬式で、人の命が病気の前では時としてこんなにも無力になってしまう、
そんなコトを思ってしまった。
それが嫌だったから、あたしは看護師になろうと思った。
だから、21歳で人生を終えてしまうかもしれない可能性は否定したかった。
今在るすべてが夢で、こんな悪い夢であるならば、早く醒めて欲しい。
「基本的に手術でガン細胞をしっかり取りきってしまいますので、
早期に手術を行えば5年生存率は80~90%です。結婚や就職だって問題はありません」
現実はそんなに容易に進むわけじゃないコトはわかるけれども、
5年生存率、80~90%。
その言葉のすべてがあたしの救いだった。
消毒アルコールの匂い。
用意された丸椅子は、あたしと両親の3脚分。
ドラマでは、俗に言う“告知する場所”とやらは、
薄暗いガランとした寂しい場所で、レントゲンを照らすライトだけが妙に青白く照らされているけれども、
現実は暖色の照明に照らされたごく一般的な診察室といったところだった。
そして、そこにいるのは一流の女優や俳優でもなく、あたし達家族だ。
どこにでもいそうな平凡な家族。
それが、乳がん検診を受けようかと総一郎と話した2週間後の出来事―
02
「ごめんなさいね、手術が少し長引いてしまって・・・」
手術時にガウンの中に着ている手術着のまま医師が現れたのは、約束の時間よりも遅れること、15分。
医師は、そのあたし達親子全員の顔が見えるように腰を下ろした。
縁のない眼鏡をかけ、立派な口髭を蓄えた40代後半の医師は、
その浅黒い顔を苦渋の表情に歪ませて、
MRIや、超音波検査、病理細胞診、マンモグラフィーなど、
講義で一度は聞いたことのある検査内容についてわかりやすく結果を教えてくれた。
決定打とも言える科白。
「・・・検査の結果、左乳房に腫瘍が診られました。ほぼ間違いなく、悪性です」
年齢的なコトやボディーイメージの観点から、
可能な限り、乳房を温存した形での手術が望ましいのだが、
リンパ節への転移も考えられ、
あたしの場合、それが難しいというコトまですべてを話してくれた。
インフォームド・コンセント。
「分かりました・・・」
一通りの話を聞いた後、驚いたコトに、そのときのあたしは妙に冷静だった。
・・・冷静だったんじゃない。
・・・冷静そうに“装った”だけ。
本当は、その現実に向かい合う準備が出来ていなかったんだ。
一緒に話を聞いたママの顔が見る見るうちに真っ青になって、
「この子は若いんです。子供を産むコトはおろか、結婚だって就職だってまだなのに・・・」
呟いたあと、声を上げて泣き始めた。
正直、さっきまでテレビ越しの出来事じゃないかって思った。
けれども、違うんだ。
あたしがこの当事者で、
今、告知を受けているのはあたしとパパとママ。
そう考えると、足元がすうっと暗くなって、底なしの暗闇に思えた。
あたしとママのちょうど間にいるパパは、
項垂れているママの肩を優しく抱くと、
もう一方の逞しい腕で、あたしの肩を引き寄せるように抱いた。
パパの手が震えている。
そう思ったけども、本当はあたし自身の肩がカタカタと震えていた。
この問題はあたし一人で片付けることが出来ないくらいに膨れ上がっている。
そして、ガン細胞は若ければ若いほど全身を蝕む速さが速いため、
手術を受けるとか受けないとか揉める時間はないように、思った。
「あの・・・」
視界はぼやけていた。
頬を冷たい感触が滑り落ちた。
ようやく、気づいた。
あたしは泣いていた。
家族や恋人、大切な友達―それ以外のまったくの第3者の前で、涙を見せたのは小学生以来だった。
「手術をしたら、おっぱいさえ取ってしまえば、あたしは助かるんですよね?」
呆気なく死んでしまう、そんなことありませんよね?
唇がカタカタと震えた。
――“死”が、怖い。――
高校生の時、
前日まで元気だった曾祖母が朝方に脳梗塞を起こし、その日のうちに呆気なく死んでしまった。
90歳を越えて足元もおぼつかなくなり始めていたのに、
お正月やお盆に会いに行くと手作りのお菓子を振舞ってくれていた、ひいおばあちゃん。
そのひいおばあちゃんの葬式で、人の命が病気の前では時としてこんなにも無力になってしまう、
そんなコトを思ってしまった。
それが嫌だったから、あたしは看護師になろうと思った。
だから、21歳で人生を終えてしまうかもしれない可能性は否定したかった。
今在るすべてが夢で、こんな悪い夢であるならば、早く醒めて欲しい。
「基本的に手術でガン細胞をしっかり取りきってしまいますので、
早期に手術を行えば5年生存率は80~90%です。結婚や就職だって問題はありません」
現実はそんなに容易に進むわけじゃないコトはわかるけれども、
5年生存率、80~90%。
その言葉のすべてがあたしの救いだった。
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