[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「これで一件落着だな」
グリュニー邸の中庭、白い玉砂利の上にあちこち煤だらけにしてロードがのびている。剣を抱えたユリスが走り寄って来た。
「ありがとう。おかげで、剣を取り戻せたわ。…知らなかった。魔法士だったなんて…」
「ん。言ってなかったからな。ってか、使えなかったんだよ、さっきまで」
コウは頭を掻きながら告白する。
「へ?だって…」
「いやぁ、どういうわけだか、使えなくなってたんだよ、魔法。その剣が俺に魔法をくれなかったら、やばかったかもな」
「あ、そう…」
呑気にとんでもないことを言ってくる青年にユリスは呆れた表情を隠さない。そこへ、ぜぇはぁと息を切らしながら背の低い厳つい男――今はかつての重々しさも見る影もなかったが――グリュニーがやって来た。
「わ…渡さん。その剣はわしが持つのだ…」
「っとにしつっこいなー」
コウは人差し指で一つの小石を指差す。その小石は勢いよく飛び、グリュニーの額に命中した。
「はうっっ!」
額を押さえてグリュニーが座り込む。そこをすかさず、コウはロープで縛り上げた。
東の空はすでに闇を押しやり白い光に染まり始めている。それを見ながら、今度こそ本当に終わったのだとコウは深く息を吐いた。
「くそー。こんなはずでは…」
「ぶつぶつ言うなよ、みっともないぜ、ゲーブル」
「誰だ?お前は」
言葉を発したのはコウではなかった。もちろんユリスでもない。ロードは――まだ気絶している。
「俺の姿を見忘れたか?グリュニー・ゲーブル」
言葉を発していたのは一羽の鴉だった。グリュニーがそちらへ視線を向ける。先ほど額に小石を受けたせいか、輪郭がひどくぼやけて見える。その鴉が話していた。
「か、鴉が喋った…」
呆気にとられて呟いた一言は、鴉が元の形へと戻っていく過程を目の当たりにして、驚愕へと変わる。
「タ、タクィル…タクィル・エス・トリーノ…」
「なんだ。覚えてたのか。お前の噂、色々と耳にしている。今回の件も、お前の愚かな欲が引き起こしたものだ」
グリュニーを見下ろすようにしてタキが立っていた。数時間前、屋敷に侵入する直前とまったく同じ姿で、中庭に立っている。
「ぐぐぐ…」
グリュニーは喉の奥を鳴らした。そんな様子には構わずに、タキは言葉を続ける。
「王宮の警士連中に引き出されたくなかったら、このことは決して口外せず、街を出て行け。それがいやなら、こちらにも手はある」
「くっ…わかった。剣は返す。この街も出よう」
えらくあっさりと引き下がったものだと、コウは思う。力を強いと思うものは、力には弱いということか。自分が強いものだと感じるものはすなわち自分が敵わないと思うものだという証だ。金の力を信じる者は金には弱い。権力を信じる者、純粋な力を信じるもの――裏を返せばみな、それらには敵わないことを無意識のうちに認めていることにほかならない。
グリュニーはふらふらと立ち上がり歩き出した。中庭の一番端、コウたちとは対角に離れた場所で一度振り返り、ありきたりな負け惜しみを吐いてから姿を消した。いつの間にか気がついていたロードもまた、覚えてろ、と、なんのひねりもない捨て台詞を残して去っていった。
「ふぃ~。終わった終わった」
コウは伸びを一つする。朝の空気が清々しかった。
「てめぇ、いつの間に魔法が使えるようになったんだよ?」
タキがすっかりいつもの身長に戻って、コウを半ば見上げながら問い詰めてきた。
「お前がもっと早くに魔法が使えてりゃ、こんなに手間取ったりはしなかったんだぞ?そこんとこわかってんのか?」
「わーってるって。いいじゃん、戻ったんだから。どうやら、その剣、増幅装置どころか、魔法供給装置みたいだぞ?触った瞬間、魔法が流れてくるのがわかった」
コウは腕組をして答えた。
「それより、お前こそタヌキと知り合いだったのか?」
「ちょっとな」
ぶっきらぼうにタキは答える。コウにとっても、なんとなく聞いただけの、重要なことでもなかったので話題を変える。
「ユリス、確かに依頼は果たしたからな。今度は盗まれないように、気をつけるんだぞ」
「うん。わかってる。ありがとう、タキ君」
ユリスは人間の姿に完全に戻ったタキの元へ行き、首に抱きついた。
どちらかといえば、剣を取り戻したのは彼女自身だし、自分やタキはその手助けをしただけのような気もしたが、相変わらずのタキへの態度に、コウは再び疑問が浮かび上がってくる。
「…さっきも聞きかけたんだが、二人はどういう関係なんだ?」
「あ、そういえば言ってなかったわね。タキ君は私の――」
「うゎあああーあーあーあーあー」
首に腕を巻きつけたままの姿勢で少女が口を開こうとしたとたん、タキが大声を上げて喚き始めた。
「…うるさいぞ、タキ」
半眼でタキを睨む。タキが思わず反論しようと、息継ぎのために喚くのを止めたその時だった。
「婚約者よ」
「へぇ?」
間抜けな声を上げて、コウは目を丸くする。大きな岩で後頭部を殴られたような衝撃を受けた。
「…勘違いするなよ!こいつが勝手にそう言ってるだけだ」
タキがユリスの腕を振りほどいて抗弁する。顔が真っ赤に染まっていた。
「そんなことないわよ、ねー」
「なーにが『ねー』だ!勝手に決められてこっちは迷惑してるんだよっ」
タキとの付き合いはそれほど短くはない。しかし、この少年について、多くを知っているわけではないのだと、二人のやり取りを見ながら、コウは改めて思った。今まで、別段深く知りたいとも思わなかったし、これからも、恐らく知りたいとも思わない。自分には今のままで充分な相方だし、おそらく、タキ自身もそんなことを望んでいるわけではないだろう。人にあえて言わなければならないようなことなど、この世にはほとんどない。誰にだって秘密の一つや二つある。タキにも、ユリスにも、自分にも。
「よし、帰るか。朝になるしな」
大きく一つ伸びをして、コウは二人に言った。ぼろぼろに破壊されたグリュニー邸の中庭は白い玉砂利がその本来の色を取り戻しつつあった。
「しっかし、何で魔法が使えなくなってたんだろーな?」
麺をすすりながらタキは目の前の青年を見やる。相変わらずぼけっとした表情の男は一生懸命、刻まれたねぎを掬おうと必死だった。
「…だから、やめろよ、そういうの」
「ほっとけ。それにいいだろ?結局、魔法は戻ってきたんだから」
顔を上げずにコウは言う。グリュニー邸から戻った後、ハンタ邸にユリスと剣を送り届け、約束通りたんまりと報酬を受け取ってきた。しかし、それは今まで滞納していた家賃と、タキの魔法具製作の費用に消えた。と、いう訳で、結局いつもの食堂で汁麺をすする毎日である。
心当たりがないわけではない。コウは心の中で呟いた。魔法が使えなくなった理由。タキがいつか言った、拾い食いの話。まさかとは思うが、あれしか考えられないのも事実だった。けれども、そんなことを目の前のこの小生意気な少年に言う気はなかった。
――あんまり腹がすいて、依頼人の家の庭で飼ってた番犬の餌を横取りして食ったなんて、さすがに言えねーよな…。食あたりってのは、恐ろしいもんだな…。
「――おい、聞いてんのか?」
コウが一人物思いに耽っているとき、不意にタキの声が現実へと引き戻す。
「ふあ?」
ねぎをつついていたコウは、なんともしまりのない声で顔を上げた。
「今日の依頼を片付けにいくぞ。結局、また生活費が苦しいからな」
毎日コレでいいなら、別に構わんが――目の前の汁麺を目でさしながらタキは立ち上がる。
「はいはい…」
よっこらせ、と言ってコウも立ち上がる。どんぶりの中には取り損なったねぎの欠片が幾つか浮いていた。
食堂を出る。賑やかな街並み、青い空、いつもと同じ日常を味わいながら、二人はまた歩き出した。