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-龍神伝説-

2章 異変

翌日、昴は眠っている悠貴を前に、思いつけるだけの罵詈雑言を自身に浴びせていた。四限の途中で悠貴が倒れたのである。ざわつく級友たちを押しのけるようにして保健室に運んでから、悠貴は一度も目覚めていない。昴は異変に気づけなかった自分自身を呪った。
朝はいつもと同じように、他愛もない話をしながら登校した。悠貴にも別段変わったところは無かったように思う。英語の小テストで勝負しよう、とか、天気がいいからお弁当は屋上で食べよう、とか――笑顔で話す悠貴を眩しいものを見るように眺めながら、変わらぬ日常が繰り返されるのだと、思うともなしに考えていた。それが今、こんなにも不安に駆られている。
ただの風邪だろう――そう思う自分の中に、心配とは別の、ざわりとする嫌な感触が入り込んだような、不快な焦りが生まれていた。


 朝、目覚めるとなんともいえない体のだるさを感じた。
 風邪でもひいたかな、と思う。それとも、最近のテスト勉強で無理した疲れが今になって出たのだろうか――。
 とりあえず、体がだるいだけなら、学校へ行っても平気だろう。今日は早めに帰って早めに寝よう。これを後々まで引きずりたくはない。
 悠貴は、朝食を軽めに済ませて、学校へ行く支度をする。なんだか、どんどん具合が悪くなっていく気がしたが、あまり気にせず学校へ行くことにした。
 いつものように昴と一緒に歩く。具合が悪いことに気づくと、きっと彼は心配するだろう。無条件に心配してくれると思うのは、自分の自惚れなのかも知れないと思いながらも、昴は誰に対しても優しい人だから――そんな人だから好きになったのだし――たとえ私ではない誰かが具合が悪そうにしていても、彼は真実心配するのだと悠貴は知っている。
昴に心配されるのは、嬉しいけれど少しばかり居心地が悪くて、だから昴には気づかれたくはないと思った。

 朝の並木道。あの背中が見えてくる。とても近くにあって――でも決して触れることのできない背中。
 いつもより大きな声で彼を呼ぶ。大好きなあの笑顔を私に向けて彼は応えてくれた。
 具合が悪いことなんて、忘れてしまいそうなほどだった。それほど自分にとって大きな存在なのだ、彼は。悠貴は彼に気づかれないよう、いつも以上に元気に振舞った。
 制服の下――悠貴の胸元では、あの龍宝玉が妖しく淡い光を放っていた。


「起立、礼、着席」――三限目の授業がやっと終わった。
 悠貴はどんどんと苦しくなっていく胸を押さえて、深く息を吐いた。
 一体どうしたというのだ。朝は体がだるかっただけだというのに、今は目が霞んで、席に座っているのがやっとだ。あと三時間……もたないかもしれない。
「悠貴……大丈夫?」
あまりにも苦しそうに息をしている悠貴を見て、友人が声をかけてきた。
「え、あ……大丈夫だよ。なんで?」
悠貴は出来る限り元気そうに友人に聞き返す。ちらりと視線を向ければ、昴は机の上に腰掛けて、男友達と賑やかに騒いでいる。
「さっきから――なんだか、具合悪そう……熱も……あるし」
悠貴の額に手を当てながら彼女は言った。細くて長い指先が冷たくて心地よい。
「保健室、行ったほうがいいよ? 私も一緒に行くから……」
彼女が心底心配しているのが分かるだけに、悠貴はいつも以上に明るく答えた。
「大丈夫だって。次、英語だし、小テスト、昴と点数競争するって約束だから――」
無理して笑う悠貴に、彼女はそれ以上何も言わなかった。
 おかしい。何かが身体の中で起きている。身体に力が入らない。本当に、ただの風邪?違う、変だ。な……んだろ……この……感……じ。
 遠退いていく意識の中で、悠貴は光を見た、様な気がした――。


 「……貴。大丈夫か?」
ゆっくりと目を開けると、眩しい光とともに昴の顔がそこにあった。
「――昴?」
まだぼうっとしている頭の中で聞く。
「そう。俺」
昴が優しく答えた。どうやら、頭の中で聞いたつもりが言葉になってしまったらしい。保健室の白い天井と、清潔なシーツのさらりとした感触が身体を包んでいる。クリーム色のカーテンに遮られた真昼の光がふわりと室内を暖めて、廊下の喧騒が遠くに聞こえている。ベッドの側に丸イスを持ち込んで、昴がこちらをのぞき込んでいた。
「大丈夫か? 悠貴、お前いつから具合悪かったんだよ」
昴が悠貴を気遣いながらも、きつく問い詰めるような口調になってしまうのは、昴が自分自身を責めているからだ。悠貴に当たることではないと分かっていながら、自分にさえ気づかせないように振舞っていた悠貴に苛立ちを隠せない。
そして、昴にこうされると悠貴は嘘をつくことができなくなることも、彼は知っていた。
「……朝から……」
隠しておきたかったが、事ここに及んで今更である。仕方なく、そう答えると、昴は深い溜め息をついて、言った。
「お前なぁ、無理しないで、休めよな。熱だってすごいあるんだぞ」
「だって……」
「だっても、なにもない。病人はさっさと帰る。風邪はこじらすと大変なんだぞ――」
昴は悠貴の荷物をすべて保健室に運び込んでいた。悠貴が眠っている間に帰り支度を済ませている。
「お前一人帰すわけにいかないから、先生に俺も早退するって言っといた。お前の荷物もここにあるから、少し気分が持ち直したんなら、これから――」
「い、いいよ。ちょっと寝てれば大分良くなったし。昴、部活もあるんだから……」
インターハイが近い。どの運動部も練習に力が入る時期だ。特に昴の部活は学校からの期待も大きい。毎日の朝練に加えて夜遅くまで練習は続く。自分のために昴の足を引っ張るわけには行かない。一人で帰れると、なんとか説得してみたものの、昴は心配そうに悠貴の瞳を見つめる。心の奥まで見透かされそうで、悠貴は視線をそらした。
「じゃぁ……気をつけて帰れよ。学校終わったら、すぐ悠貴ん家行くから。お袋にも電話で連絡しといたから、心配しなくていいぞ」
「心配って……?」
珍しいくらい、一方的に話を進める昴に悠貴はやっとのことで、それだけ聞く事ができた。未だ、どことなく不満そうな顔の昴は悠貴が何を不思議がっているのか分からないといった風に答えた。
「一人だと何かと大変だろ? 帰る頃には、お袋、バッチリ看病の準備をして待ってるはずだから」
安心していいぞ、言いながら立ち上がると、昴は悠貴に手を差し出した。
「へ?」
悠貴がきょとんとしていると、昴が急かすように言った。
「ほら、急がないと、ますます悪化するぞ。第一、もうすぐ昼休み終わっちまう。俺が見てられるうちに早く家に帰るんだよ」
「……あ、ああ、そうか……」
悠貴の手が昴の手と重なった。
――あれ、昴の手ってこんなに大きくてあったかかったっけ。そういえば昔はよく手を繋いで遊んだな。……って今、私昴の手に触れてる?――
 思ったとたん、顔がどんどん紅くなっていくのが分かった。
「悠貴、大丈夫か? 顔、赤いぞ。熱上がったんじゃないのか?」
昴が顔を覗き込んでくる。真っ赤な顔を見られるのが恥ずかしくて、昴から顔を背ける。

家に着いてすぐ、昴の母親が心配そうにやってきた。早くに母親を亡くした悠貴にとって、昴の母は自分の母親も同然の存在だった。彼女もまた、悠貴を実の娘のように接してくれる。一人だとやけに広く感じる部屋でだるい身体を抱え込むようにうずくまるより、ずっと心強く感じた。
 彼女は、ずっと悠貴の側に居てくれた。だが、しかし、悠貴の症状はますます悪化していった。

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