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-龍神伝説-
1章 始まりの瞬間【とき】
3
それは、ゆるい弧を描いたものだった。古めかしさだけが際立つ革紐で、硬く結ばれてはいるが、石そのものは風化した様子もなく、悠貴の手の中にある。薄く黄色を纏うそれは、彼女の手に触れられた時、淡く光を放った。その光を見ることができたのは、それに選ばれたという一人の少女――悠貴だけだった。
「龍宝玉~ぅ?古い勾玉みてーだな」
昴は彼女の手の中のそれを覗き込みながら言った。どこにでもある、とは言わないが、それほどに特別なもののようには見えない。滑らかな石肌は温度を感じさせない。原始的な手法で磨き上げた、少しばかり見栄えのする石。それが、昴の受けた印象だった。
「牙じゃよ…」
老婆は直角に曲がった腰に手を当て、二人を上目遣いに見上げた。白髪の向こうから、瞳だけが生気を放っている。
「龍宝玉は龍の左の牙だと伝えられている。龍は己の左の牙に魂を宿し、もっとも強力な力を秘めて、それで自身の守護とする。ま、龍のお守りみたいなものじゃな」
「お守り・・・」
口の中で呟いて、もう一度石に目を遣る。お守りと言われて、はい、そうですか、と納得できるような代物ではない。龍の魂どころか、何の力も宿っているようには思えない。
「なんか、嘘くせー。ただの伝説だろ?」
昴は老婆と龍宝玉を交互に見ながら言った。
「今まではな。しかし、今日悠貴がこの鍵を開けたということは、まんざらただの伝説でも…」
「あほらし。なーにが、『選ばれた』だ。こんな石ころに力が宿ってるわけ無いだろ。錠だって、錆びついて古くなっていたのが、たまたま外れただけだろうし・・・。悠貴、帰るぞ。ほら、それも元に戻して」
強引に話を切って、昴は悠貴の手をつかみ外へ連れ出そうとした。背中に、老婆の視線が刺さっているような気がして、ここはどうにも居心地が悪い。店の雰囲気、老婆の話、黙って聞き入る悠貴の態度、全てが昴に不安を呼び起こす。何がどうと、はっきりと分かるわけではないのだが、何かが軋みだす予感がした。
「選ばれた」という老婆の言葉が頭をよぎる。そもそも、そんなことあるはずが無いし、仮に何かに「選ばれた」のだとしても、それは一体何者なのか。誰が、何のために、悠貴を選んだというのか。所詮、寂れた骨董屋の適当な売り文句だと解ってはいるが、悠貴にこんな話をするとすぐに信じ込んでしまう。こんな怪しさ一杯の話など、聞かせられない。何より、この老婆、気味が悪い。ついさっきまで、全く気配を感じられなかったのに、いつの間に現れたのか。
「元に戻す必要はない。差し上げましょう。それはもう悠貴、お前さんのものじゃ」
「いいんですか?」
悠貴は聞いた。
「おい、やめとけよ、そんな物…」
小声で、悠貴をつつく。店主の前で商品をあからさまに悪し様に言うことは出来ないが、明らかに悠貴にとって益となるものではないことは確かなように思えた。
「もちろん。これは選ばれたものが身につけてこそ、価値があるものじゃからな」
老婆はそう言うと、龍宝玉を悠貴の首にかけた。悠貴は老婆の手が届きやすいように、軽く前かがみになってやっている。
「ありがとう、お婆さん」
悠貴は微笑んで素直に礼を返した。胸元で小さく揺れた『龍宝玉』は、制服には似合わなかった。強引に渡された感は否めなかったが、老婆の手から直接渡されたものを押し返すことは既に出来ないことのように思えた。
「おい、もういいか?暗くなってきたし帰るぞ」
昴はしょうがないな、と呆れ顔で悠貴に言った。
「うん、そうだね。それじゃぁお婆さん、さよなら」
丁寧に老婆に言うと、昴に続いて店を出た。
外はもう薄暗くなっていた。一番星も輝いている。太陽に温められた空気が少しずつその熱を冷やしていくのを感じる。初夏の、しっとりと湿った空気に、石は薄く光った。けれど、閉まった店の扉を振り返っていた二人が気づく事はなかった。
「なーんか、胡散臭いモノ貰っちまったな」
昴は悠貴の胸元にある龍宝玉を見て言った。帰り道、並ぶ街灯の下、光を反射するでもなく、変わらずにそこに石はある。
「いいじゃない。時々、きれーな色に光るんだよ、コレ」
革紐を指に絡ませて遊びながら、悠貴は言った。ふらふらと振り子のように石が揺れる。店で見たときより、鈍い色彩に見えるのは、辺りが暗いからだろう。
「光る?まっさかー」
「ほんとだよー」
ぷくっと膨れた悠貴のことを子どものようだと昴は思う。石が勝手に光ることなどありえない。大方、老婆の話に影響されて、光の反射か何かを見間違えたのだろう。あたかも、本当のことのように語る悠貴は自分なんかより、ずっと素直なのだろうと思う。それで、あんな話にもまんまと乗せられてしまうのだ。まぁ、幼馴染ということで、そんな悠貴にも慣れているが…。少しばかり、彼女の将来を心配してしまうのは、決して自分だけではないはずだ、と昴はふと思った。
「じゃ、明日。学校でな」
悠貴の家の前まで来て昴は言った。悠貴の肩越しに、真っ暗な彼女の家が見える。目の前で昴を見ている彼女を見ると、なんとも切ない気持ちになったが、思い直し、笑顔で手を振ると、自分の家へと走った。自分の家の前まで来て再び、悠貴の家の方を見ると、一部屋だけ明かりが灯っていた。
「いよいよだな」
誰かが言う。
「いよいよだな」
誰かが応える。
「我等の時が、来る」
それは、那由他の時を越えた願い。
「我等の、あの方の覚醒【めざめ】」
それは、遙かな古からの契り。
「伝説は今、真実になり」
誰もが今、それを目にする。
「秋津の島は真の神を迎える」
偉大なる力の響きを感じる。
「もうすぐだ――」
満願の時はすぐそこに。