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-龍神伝説-

1章 始まりの瞬間【とき】

 今日もいつもと同じ朝が来る。TVからにぎやかな声が聞こえる。子どもたちは学校へ、大人たちは仕事へ、慌しく向かう。
 どうして朝の時間は、昼や夜の時間に比べて速く過ぎてゆくのだろう?

  今日もいやな夢を見た。目覚めてしまえば、夢の内容など忘れ、思い出すことすらできなくても、不快感は消えない。しかし、それも時間が経てば気にならなくなる。
 毎夜毎夜、同じ夢を見ているのだろうことは分かるのだが。
 いつからこの夢を見ている?あれは――半年前、あの人がいなくなってからだ。その頃からこんな不快感が続いている。
――今、何時だろう?――
そう思い時計を見る。
「なっ…」
今朝の彼女の第一声はそれだった。
 時間は七時十五分。学校へはまだ充分に間に合う。
 間に合うのだが…。
「急がなきゃ!」
彼女は大慌てで食事を摂る。一人だから、簡単にすむので楽でいい。
 そう、彼女は今、家に一人だった。彼女の母は彼女を産んですぐに死んだという。だから、彼女の記憶の中に、母の姿はない。
 その分、父は自分のことを誰よりも愛してくれている、と彼女は思っている。
 その父は――半年程前に、行方がわからなくなった。
 彼の仕事は研究者で、半年前にも、研究の調査のため、一人、旅に出、そのまま音信不通となっている。
――お父さんって、何の研究をしてたんだっけ…?――
彼女は慌しく支度をしながら、ふと、そんなことを思った。幼い頃聞かされた――自分の名の由来。父の仕事の事――記憶の奥にかすかに見ることのできる記憶。
「大変、大変。そんな場合じゃないんだ」
彼女は首を横にぶるっと二度振って、外へ飛び出した。

 彼はいつも決まった時間に学校へ行く。彼女はそれを知っている。
 彼女にとって、彼は大切な存在だった。そのことに気が付いたのは、彼女が中学二年の時。もっと前から好意を持っていたが、それが恋愛感情に変わったのは恐らく、この時からだろう。そのことは、彼女しか知らない。これから先、打ち明けるつもりもない。彼にその気が無いだろうと分かっているから。
 彼女は、毎朝、彼と学校へ行っている。友人として。それ以上を求めたりはしない。今の関係を壊したくないから。

 「おはよー」
彼女は息を切らせながら彼に追いついた。今朝は寝坊をしてしまった。なんとか追いついたが、彼には見抜かれていたようだ。
「悠貴、寝坊したのか?お前、もうちょっと遅く行っても、よゆーで間に合うんじゃねーか?」
一緒に行きたいから。とは言わない。
「んー。でもでも、朝って気持ちがいいしー。学校嫌いじゃないし…」
悠貴はなんとか理由をつけて言った。
「ヘンな奴」
彼はくすくすと笑った。
 悠貴はそんな彼の笑顔が好きだった。
「なんだよ?人の顔ジロジロと見やがって…」
しまった、と悠貴は思う。ついつい大好きな彼の笑顔に見とれてしまった自分に気がついて、悠貴は顔が赤くなっていくのを彼に見られないかとドキドキしながら、話題を別の方向へそらそうと試みた。
「あのさー、昴。放課後ヒマ?」
「何だ急に。今日は部活すぐ終わるから、一応ヒマだけど?」
悠貴があまりにも唐突に話を切り出したので、昴はきょとんとした顔になった。一方、悠貴は、何とか話をそらすことができて、内心ほっとしていた。
「あ、あのね…新しいお店をね、見つけたの。いっしょに行かないかなーと思って」
悠貴は幼い子供がほしいものをねだる時のような顔で、昴に言った。
「新しい…って、また見つけたのか。好きだなーお前も」
昴はあきれたように言ったが、表情は笑顔のままだった。
「いいよ。放課後、付き合ってやるよ。悠貴、放課後、教室で待ってな。迎えに行ってやるから」
昴が悠貴に言うと、悠貴は本当に嬉しそうに笑った。
「じゃ、オレ朝練あるから。またな」
昴は悠貴に手を軽く振って、グラウンドへと走っていった。
 「あいつ…あんな顔見たの、久しぶりだな…」
昴は悠貴が見えないところまで来て、呟いた。さっきの彼女の笑顔がまだ焼き付いている。あの時彼女を置いて走り出したのは、彼女に自分の顔を見られたくないからだと気づいていた。あの程度のことですぐ紅くなる自分の顔が少し恨めしかった。

 昴と悠貴は幼馴染で、幼稚園から、高校に入る今まで、ずっと一緒に過ごしてきた。悠貴の母は悠貴を産んですぐに死んでしまったから、昴の母は自分の娘のように悠貴と接してきた。そのせいもあって、昴は悠貴と兄弟のように育った。だが、昴はずっと前から悠貴に対して、もっと特別な感情を抱いていた。悠貴は、そのことを知らない。悠貴の気持ちを知りたいと、いつも思うが、いまだにその決心がつかない。
 そんな自分の気も知らず、悠貴はいつも自分に笑顔で応えてくれる。その笑顔が自分の想いを伝える決心を鈍らせている、と昴は思う。彼女の笑顔を見られるだけで満足してしまう自分が情けない。
 悠貴が、今にも消えそうなか細い声で、昴にすがり付いてきたことがあった。彼女は目に涙をためながら、お父さんが戻ってこない、と訴えた。彼女の父は学者で、よく研究や調査で、家を留守にする。しかし、何の連絡もなしに予定通りに家に戻らないことなど、かつて一度もなかった。昴は悠貴に、どこか連絡のつかない所へ調査しに行っているだけかもしれないから、心配しないで、もう少し様子を見ようと言った。悠貴はそれに頷いて ――それが半年前のこと。未だに彼女の父からの連絡はない。
 悠貴は一人、不安の中で毎日を過ごしているのに、自分は何もしてやれないそれがはがゆかった。
 あの時から、悠貴はあまり笑わなくなった。今朝見せた、あの笑顔が離れない。
 それでも、前からの趣味――アンティーク好き――が健在だったのが、彼にとって救いだった。

 朝練を終え、教室に行くと、悠貴は女友達と話していた。今朝の笑顔を思い出し、思わず頭をぶんぶんと振ってしまう。
「おい、佐守!入り口んとこで、つっ立ってんなよな」昴はいきなり後ろからチョップをかけてきた親友を、まじまじと見た。
「なんだよ。早く行けよ」
何の悩みもなさそうな親友の顔を見て昴はハァーと深いため息をついた。
「お前って、本当、幸せだよな」肩をたたきながら真剣にそう言った昴の顔を、親友はきょとんとした顔で見ていた。

 悠貴と昴の一日はこうやって始まる。この平凡な毎日が、この後一変するとは、悠貴も昴も、夢にも思っていなかったのである。

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